青森在住!?資金調達2億円スタートアップ経営者の挫折ばかりの起業人生

学生時代に起業し、防災グッズ製造販売、キャラクタープロデュース、アニメ監督など紆余曲折を経て、現在、青森県に移住しITベンチャーを経営する斉藤翔社長。これまでの起業歴と、全役員地方在住・全社員フルリモートというスタイルで運営するオトコロドットコム社のコロナ禍のニューノーマルについて伺いました。

回答者斉藤斉藤翔 京都出身 青森県在住 2007年立命館大学卒業。好きなものは釣り。防災グッズの製造販売や、キャラクタープロデュース、アニメ監督などを経て2019年3月オトコロドットコムを設立。
インタビュアー畑中畑中千佳 ライター歴18年。情報誌、ファッション誌の取材は1,000回以上。現在はwebに場所を移し執筆中。

― 本日はよろしくお願いします。早速ですが斉藤さんのキャリアをお伺いしていきたいと思います
斉藤:よろしくお願いします。

― 本題に入る前に一つお伺いしたいのですがZOOMの背景が雪景色なのですが、今どちらでしょうか?
今、じつは青森におります。

― 青森といいますと、ご旅行中でしょうか?
いえ、去年から妻の実家の青森に移住しておりまして、もう1年半くらい青森で仕事をしております。

― 青森に移住!!ITスタートアップの経営者としてはなかなかのインパクトですね・・・
はい、よく友人に「突然東京から青森に引っ越して本当に大丈夫?」と心配されますが、ほぼ毎日仕事のあと海に釣りに行けますし、最近始めた趣味のレザークラフトでも騒音で近所迷惑になることもないし、良いことしかないです。

近くの海で釣ったアナゴを捌いてかば焼きに

コロナの前からいつか田舎で暮らしたいなという思いがありましたが、15年近く東京に住んでいたので、そう簡単には決断できませんでした。そんな中、コロナが始まってしまい、当時、子供が1才だったのですが、緊急事態宣言下の東京で妻と子供は何ヶ月もほとんどマンションの一室から出られない状況が続きました。

散歩も買い物も自粛という状態だったので、とりあえず1ヶ月という感じで青森の妻の実家に移動しました。(余談ですが1週間分の旅行くらいの荷物だけを持って帰省したのですが、結局それでほとんど事足りてしまい、最終的に東京のマンションを引き払う際に、図らずもかなり断捨離をすることができました)そしてそのまま、とりあえずの移動が、青森への移住になってしまいました。

― まさか青森から資金調達2億円のスタートアップを運営されているとは予想してなかったです、ちなみに社員の方はどういった反応ですか?
移住のタイミングで既に全社員リモートワークでしたので、最初は社員には何も言わずに青森に来てしまいました。気づくかなと思ったのですが、ZOOMの背景が変わらないので、私が自分で言うまで2週間くらい誰も気づきませんでした。

― 社長が青森にいるのに誰も気づかないなんて・・・なにか新しい時代が来てますね
そうですね。コロナの影響で本当にあっという間に新しい働き方が定着した感じですね。現在は、私だけでなく弊社の主要メンバーと役員を含めてほぼ全員地方在住でして、首都圏にいるのは2割くらいになっています。

共同創業者の武田はNAIST(奈良先端科学技術大学院大学)出身なのですが、オトコロドットコムの仕事のかたわらNAISTでアントレプレナー系の講師をしています。その他のメンバーも大阪、福岡、千葉、福島、台湾など海外も含めて好きな場所で全社員フルリモートワークで仕事をしています。

― 役員含め全社員フルリモート!ITスタートアップらしいですね。つまり出社する人はゼロということでしょうか?
はい、今年リアルオフィスをついに解約してしまったので、出社できるスペースは完全になくなってしまいました。

― 一度も集まらずに会社って成り立つのでしょうか・・・?
そうですね、うちの場合は2020年の3月からほぼ集まらずに仕事しておりまして、それ以降入社した数名のメンバーには実はリアルでは会ったことはありません。なのでいかにリアルのオフィスで集まっているのと同じような状況を作れるか、弊社なりにオンラインでスムーズに仕事ができる仕組みを工夫しています。

― 具体的にはどういった工夫をされているのでしょうか?
一番重要なのは、いかにちょっとした質問でも声をかけれるか?だと思っています、そこで弊社では勤務時間中は全員ZOOMをオンにして(音声はミュート)常に全メンバーの顔が映っているような状態で仕事をしています。他にも、呼びかけるためのハードルを下げるために全員あだな制(私はくまさんと呼ばれています)にしたり、年に何回かオンライン飲み会ならぬオンラインボードゲーム大会などを開いて、リアルがなくても信頼関係が築けるような努力をしています。

ちなみにBoard game arenaというオンラインボードゲームサービスが便利です。とくに二ムトというゲームが10人でできるのでおすすめです。

― ずっとZOOMオンというのは抵抗ある人もいるので、なかなか一般的にはまねしにくいですね・・・
そうですね。リアルのオフィスで働いていたメンバーに関しては、割と抵抗なくやってくれたのですが、リモート後に入社したメンバーは、在宅ワークという前提で応募してくるので、必ず最初の面談で「勤務時間中は必ずZOOMがオンの状態になりますが、大丈夫ですか?」というのをしつこく確認するようにしています。

― 2019年に設立されて2020年に2回目の資金調達(1.5億円)をされていますが、もうこの時はリモートワークだったのでしょうか?
そうですね。2回目の資金調達の時は、もうすでに青森に来ていたので「これだけの金額を希望してるんだからさすがに2、3回は東京に戻らないといけないかな」思っていたのですが、今青森にいますということを先方伝えるタイミングがないまま、結局オンラインのみで完結してしまいました。その時は、ほんとに大きな時代の変化が起きてるんだなと実感しました。

― 1.5億円をオンラインのみで調達!ちょっと前は想像もできないですね・・・

学生起業そして15年の迷走を経てオトコロドットコムを設立

― さて、ここからは斉藤社長の起業歴についてお伺いしていきたいと思います。斉藤社長は学生時代に起業されていたと伺いました、どんなことをされていたのでしょうか?
京都の大学生の時に友人たちとお金を出し合い、「防災クマさん」という防災グッズ(リュック型のテディベアの中に防災用品を入れた防災グッズ)を作りました。防災グッズって、押し入れや収納に保管してしまうことがほとんどだと思うんです。

けれど、本当に災害が起こったときに、パッと持ち出すことが出来ない。じゃあ、実際に使用できて、みなさんの役に立つにはどうしたら良いか?と考え、日常の空間に置けるようにテディベアの中に防災グッズを入れました。

防災クマさん公式サイト ※現在は防災パンダさんのみ販売

― どのようにして販売していったのですか?
怖いもの知らず学生だったので、がむしゃらに営業をしに行きました。もちろんノウハウなんてないので「とにかく防災クマさんをたくさんの人に知ってもらいたいんです!」と当たって砕けろ精神で。「学生が頑張っているな」と思ってもらえたのか、ありがたいことに本当にたくさんの新聞、テレビなどのメディアに取り上げていただくことができました。

当時の様子 引用元:京都新聞社

自分たちで考えたものが世に出ることの喜びは今でも忘れられないです。「頑張れば結果が出るんだ!」と自信になりました。しばらくして数百万の利益を生むまでに成長したのですが、ちょうどその頃、一緒にやっていた仲間たちは企業に就職していったので、私だけが会社に残り、一人で防災クマさんを販売していくことに。

― ひとりならではの苦労もありましたよね
そうですね。実務面はもちろん、普通の企業なら年単位で考える経営計画も、自分一人の思い付きで変わってしまうこともしばしばで…そんな簡単に変わってしまう経営計画なんてうまくいく訳ないですよね。今まで仲間がいたから会社が成立していたんだな、と気づかされました。ある時テレビショッピングで販売していただくことになり、400個納品したのですが、商品の中に入れていた説明書の細かい表記を間違えいて…。

すべて直さないとお客様に発送できないという連絡があり、作り直した説明書を持って顔面蒼白のまま納品先の倉庫に行きました。目の前の400個のダンボールを一つずつ開封して入れ直すという作業が必要で、一人で事業をやるということの大変さを痛感しました。

防災クマさんの次に発売した、国産ヒノキを利用したオブジェになる薪「簡易焚き火セット上質。大人の焚き火道」当時の自作WEBサイトがまだ残っていた。

― 自分でやることに限界を感じてしまったんですね
そうですね。大学を卒業して一人で事業を開始してから約1年半でキャッシュが底をつきそうになりました。そこで「もう会社をたたんで、東京に行って就職をしよう」と思いました。とりあえず知り合いの紹介で大手企業子会社の面接を設定してもらい、せっかく京都から東京に行くので経営者の方のアポも何件か取っていました。

― 初めての就職活動はいかがでしたか?
撃沈、の一言です(笑)。その時の面接官は私より少し上の20代中ば~後半くらいでしょうか。面接の中盤で「やりたくない仕事とやりたい仕事、どちらを優先するか?」という質問をされたので、「自分のやりたい仕事なら成果を出す自信があるので、自分のやりたい仕事を見つけてやっていきたい」というような旨を、私なりに真摯に答えました。

しかし、おそらく私の解答は面接官の欲しい答えと違っていたのでしょう。「仕事っていうのはそうじゃない!」と否定された後に、「普通は後日採用の結果をお知らせしますが、この場で採用しないことをお伝えしますね」と言われてしまって…。見事に、惨敗ですね。

その後、約束していた経営者の方とのアポがあったので、「こんなこと言われてしまい、あまりにショックで…」と泣きついてしまいました。そしたら「なら、やっぱり自分でやったら?応援するよ」と言ってもらい、やはり自分で事業をやっていこうと心に誓いました。

― もう一度、会社を続けることにしたんですね
はい。ただ、今の状態ではダメだと思い、トランク1つと全財産の30万円くらいをもって上京することにしました。背水の陣ですね(笑)

ただ30万円ではさすがに何もできないと思い金融公庫に300万円ほど借り入れを申し込みました。事業経営はあまり上手くないですが、プレゼン資料作りは得意でしたので、無事に手持ちのお金がなくなる前に300万円を借りることができました。

ただ、新しい防災グッズの仕入れ資金という名目で借入れたのですが、実際には生活費として消えていくことにとても焦りを感じていました。

そんな中、東日本大震災が起きました。なにか自分にできる仕事があると思い、すぐに防災グッズを仕入れて防災クマさんを販売しようとしたのですが、震災直後、私のような零細企業には防災グッズが一切仕入れられず約1年間仕入れができないまま売上ほぼゼロ円という苦しい日々が続きました。

1年が経ったころようやく防災グッズが仕入れられるようになり、防災クマさんの販売を再開することが出来ました。そのタイミングでQVCや大丸などの百貨店にお声がけいただき、21歳で会社を作って以来、初めてちゃんとした黒字を出すことが出来ました。それが28歳くらいのことです。

― それから防災事業に注力されたんですか
いえ、防災事業は創業時からずっとやってきたのですが、実は学生時代に軽い気持ちで始めてしまった事業で、どうしてもこれを自分の一生の仕事にしたいとは思えなくなってしまいました。そんな中、自分は本当は何がやりたいのかと自問自答を繰り返していると、ふと父が以前キャラクタービジネスやライセンスビジネスが面白いと言って渡してくれた、「ハローキティのライセンス事業を紹介した書籍」が目に付きました。

私の父はイラスト専門の出版社を経営していて、母親がそこでイラストを描いていました。母の絵はほとんどの人が見たことがあると思います。一昔前の小学校の学級通信にはほとんど私の母の絵が使われていました。

生まれた時から自然とクリエイターの会話を聞いて育ったので、いつかコンテンツをプロデュースしたいという気持ちがずっとありました。そんなある日、突然、そうだキャラクターを作ろう!と思い立ち、コンペででイラストを募集し、キャラクターを作りました。

社長のお母さんのイラスト 引用元:図書出版出町書房

― そして、手がけたのが苔をモチーフにしたオリジナルのキャラクター「KOKEくん」ですね
はい。何とかKOKEくんを知ってもらおうと、漫画、絵本、グッズ、アニメ、スタンプ、アプリ…様々なアプローチ方法で3年間全力投球のプロモーションをした結果、各種ティーン向けの雑誌に紹介してもらい、UFOキャッチャーの景品になったり、ヴィレッジヴァンガード100店以上で販売してもらったり、フラッシュモブをしてみたりと、たくさんの人に知ってもらうことはできました。防災事業で得た利益はほぼこれにつぎ込んでしまいました。
でも、悔しいことにヒットには至らなかったんですよね・・・

苔から生まれた不思議な生き物KOKEくん公式サイト
KOKEくんのシュールな4コマリンク

上野のマルイで行ったイベント 左が斉藤社長本人
左:リアルコケくん(人間版)のメイクを落とす斉藤社長
超シュールなKOKEくんの4コマ漫画 現在はここから無料で一気読みできる
KOKEくんのマスコットぬいぐるみ

― その頃、社長は30歳
そうですね。防災特需も終わり、20代後半の丸3年間を費やしたキャラクタープロデュースで全く稼げなかったので、さすがにその頃は、毎日「これからどうしよう」「来年は何して食べているんだろう」という漠然とした不安に押しつぶされそうになっていました。ついにどこにも就職しないまま30歳という年齢の重さも不安とともに比例していたのかもしれないですね。

そういえば、この頃よく事務所から自宅まで歩いていました。およそ2時間くらいでしょうか。色々なことを考えながら歩いていると、心を整理できるだけでなく、体が疲れて、家に着いたときにあとは寝るだけという状態にもできるんです。そんな風にして不安と対峙していました。

青森にきて唯一残念なのが、悩んだときにひたすら街を歩き続けるということができなくなったことです。あの頃は本当に東京の夜の街並みに救われました。

― その後は何をしたのですか?
当時私のほかに1名アルバイトで雇っていた社員がいたのですが、どうしても正社員で雇ってほしいと言われ正社員として雇用していました。にもかかわらず防災事業をほったらかしてキャラクターに専念していたので、また売上ほぼゼロの状態に戻ってしまいました。

個人と会社の全財産合わせて30万円台になり、また30万円かと思いながら、「いよいよ来月はやばい」となったところで、京都の地元の先輩に相談したところ、浜松町に自社ビルがあってそこの1フロアのテナントが抜けるから、貸会議室でも始めたら?という提案をしてくれました。

もう神様に見えました。他にやれることがなかったので、即座に是非やりたいと伝えて、早速WEBサイトとブログを作成して、自分でデザインしたチラシを毎日ポスティングし始めました。そのおかげで、なんとかギリギリで家賃や給料を滞納することなく、持ち直すことが出来ました。

当時運営していた貸し会議室

― なんとかなったんですね。それからどうしたのですか?
貸会議室の知名度がじわじわと広がり、なんとか2人分の生活費が維持できる売上を確保することが出来るようになりました。ほんとに不動産というか土地の価値ってすごいんだなと思い知らされました。その後、今の貴重な時間を活かして何か次の手を打たないとと真剣に考えました。

あれだけ全力投球したKOKEくんを、ヒットさせられなかった原因はなんだろう?と考えたとき、足りなかったのは「コンテンツ力だ」という結論にいたりました(今考えると多分間違ってましたが・・・)

そこでアニメを作ってヒットさせたいと思うようになりました。そうすればおのずとキャラクターがブランド化されるので、あとはKOKEくんで培ったグッズ製作・販売・コンテンツ展開があれば成功できると思いました。

その頃、ちょうど後輩からの紹介でTBSの子供向けのコンテンツのブランディングをお手伝いすることになり、週に1度外部スタッフとしてTBSに通っていました。

そういう経緯もあり、TBSの子会社のTBSグロウディアの役員の方に相談してアニメを作りたいことを告げると、企画を持ってきてくれたら考えるといわれました。そこで早速3本ほど企画書を書いて翌週見せに行くと、「これいくらで出来るの?」と言われました。高かったら自分と組む理由はないなと思い、これだけあればなんとかできるという、ぎりぎりの金額を伝えました。(一般的な相場の30%くらい)

そのかいあって、その金額でできるなら一回やってみようという話になり、TBSグロウディアと50%ずつ出資してアニメを製作することになりました。

― 突然のアニメ制作、アニメ制作の経験はあったのですか?
いえ、全くありません(笑)でもできるという謎の自信がありました。早速アニメーターをネットで募って、ライターもツイッターで探して、ある程度できるメンバーをそろえました。特に脚本が大事だと思い、ツイッターで大喜利をしている人達や大喜利大会に出場したことのある人たちを貸会議室に集めて、アニメ内で使うネタを大喜利形式で出すというイベントを開催しました。

10人ほどの大喜利猛者に何度か集まっていただき、各お題で一番面白い回答には私がおひねり(500円のポチ袋)を渡すという形式で、大盛り上がりのイベントとなりました。おかげで「これはすごい!」と思えるようなネタをたくさん集めることが出来ました。いまでもその時の回答者のフリップ帳は大事にとってあります。

― なるほど、ほかに難しかったことはありますか?
一番緊張したのは、TBSグロウディアにお願いしてキャスティングしてもらった、俳優のムロツヨシさんと、声優の奈良徹さんのアフレコ収録でした。アフレコなんか収録したことないので、とにかくきれいなMAスタジオを知り合い経由で見つけてきて、クレジットに名前を明記するという約束で料金を融通してもらい、当日は、さも経験豊富なディレクターですよ〜という顔をして、ムロさんに軽くあいさつしてビデオコンテに沿って、声を入れていってもらいました。

もうここまで来たら、と逆に腹が座って「あ、ちょっとそこ、もう一回お願いできますか?」などと、ムロさんにリテイクをお願いしたり、奈良さんの雄たけびに「今のところいいですね~」などと言いながら、未経験ということを誰にも悟られずに収録を終えることが出来ました。

そうやっていろんな人の力を借りて何とか完成したのが、CGコメディアニメ「東京ふたごアスレチック」です。予選を勝ち抜いた24組のふたごが巨大アスレチック大会に臨んでいるところを、冷静沈着なアナウンサーが実況するという、シュールなお話です。

東京ふたごアスレチック公式サイト
アマゾンプライムの東京ふたごアスレチックのページ

DVD化され全国のツタヤでレンタルできるように

かつて大ヒットしたスキージャンプ・ペアと関係あるのかとよく言われるのですが、私がスキージャンプ・ペアのことが大好きなだけで、オマージュというかコンセプトを参考にさせていただいただけで、内容は別物です。

このアニメは、ありがたいことに大阪や愛知、広島など全国各地の地方テレビ局や、BSで放映していただきました。自分が監督・脚本を手掛けた作品を初めてテレビで見たときは、なんとも言えない達成感でいっぱいでした。ちなみにアマゾンプライムの見放題(リンクはこちら)に入っているので良かった見てみてください。

今思うと短い尺にネタを入れすぎてて2,3回見ないとわからない小ネタがいっぱいあります(笑)ちょっと尖りすぎたかなと思いますが、一部の熱いファンからとても良い評価をいただき、ほんとにうれしかったです。この作品を引っ提げてカンヌ映画祭にも行きました。私は15歳から20歳まで約5年間フランスに住んでいたので、ここぞとばかりに語学力を発揮してきました。

― ようやく日の目を浴びたんですね!
うーん、でも、これもプロモーションするお金が足りなかったのかもしれないですね。残念ながら製作費をギリギリ回収するくらいで大ヒットとはなりませんでした。

― まさかの…
30代中盤に差し掛かり、結婚もしていたので、もう、いよいよ後がないと思いました。今までやってきたのは自分が楽しいこと。それよりも、いい加減もう少しお金になることを始めなければと悩んでいた所、自社の記事サイト、いわゆるオウンドメディアをスタートしました。そうして色々なサイトを試験的に立ち上げたところ、少しずつですがアクセスを増やすことが出来て、広告収益を得られるようになりました。

学生の頃、当時まだ楽天もアマゾンもほとんど知られていなかった時代、起業家仲間で誰もが「これからはITがくる」「ITの時代だ」と言っていた時代に、「いやいや、それなら俺はITの逆で成功したい!」と、クマを売り、キャラクターを産み、アニメを作り、逆走をする日々でしたが。10年以上迷走したあげく「やっぱりITだった」と気が付きました。この頃、34歳です。

― 試行錯誤を繰り返してようやくたどり着いたんですね
いくつかのサイトを作っていた中でも、一番利益を出せたのが、店舗の紹介でした。なので、これを100倍、1000倍の規模でやったらたくさんの人に喜んでいただけるんじゃないか?と思いついたのが、オトコロドットコムの始まりです。

ただ、自分はたいしたプログラミングができなかったので、実際にそれを実現するには、優秀なエンジニアが必要でした。それまで1年に1回程度、お互いの近況報告をしていた友人の武田(現共同創業者)に声をかけました。「こういうのを始めたいんだけど、絶対に成功させるから一緒にやろう!」と。

最初は乗り気ではなかったのですが、何度も語るうちに、たまたま彼も前の仕事に区切りをつけるタイミングだったので、OKしてくれて。ありがたいことに、二人で始めることになりました。

― 強力な仲間ができたんですね!
そうですね。仲間の次は資金集めだ、ということで、ベンチャーキャピタルから資金調達を目指すことにしました。300人くらいに連絡をして、ひたすら門前払いされつつも、何とか30社とのプレゼンに漕ぎつけて、最終的には、VC1社と個人投資家から5500万円の資金をエクイティで調達することが出来ました。この時の大変さは、こちらに詳しく語っておりますのでよかったら是非読んでもらえればと思います。

起業したてのスタートアップがベンチャーキャピタルから資金調達する方法

― いよいよ、スタートしたオトコロドットコム、どんなサービスなんでしょうか?
こんなにITが発達した現代でも、お店を探すのがめんどくさかったり、いまいち情報が網羅されていなかったり、ストレスを感じることが度々あります。なのでオトコロドットコムではITの力と人力をうまく組み合わせることで、最終的にはすべての店舗を網羅して情報を掲載することを目指しています。

それによりオトコロドットコムを通して検索に関するイライラや不安を少しでも軽減し、世の中の検索疲れを減らせればと思っています。一言で言えば、店舗の検索サイトになります。

オトコロドットコム

― なるほど。それでは最後に今後の展望を聞かせてください
これまでほとんど一人でやってきて、何度も心が折れそうになってきました。けれど、今は一緒に仕事をしてくれる仲間がいます。経営方針を一人で決めることも、実務的なことも、仲間と一緒にで決められる。なので、「世の中の検索疲れを軽減する」という大きな目標に向かって最大限努力しながら、希望を持ってついて来てくれる仲間全員が報われるように、必ずこの事業は成功させたいと思っています。