ガンジス川の水を飲んだ私が28歳で大学入学 総代で卒業しスタートアップ初期メンバーになった話

世界30ヶ国をバックパッカーとして旅し、28歳で大学入学、総代で卒業後オトコロドットコムの初期メンバーとして入社した、パワフルなワーキングマザー、小熊なぎささんのインタビュー記事です。

オトコロドットコム社員インタビュー

回答者小熊小熊なぎさ 京都出身 東京在住2015年大阪府立大学卒業。2019年オトコロドットコム入社。コンテンツ製作に携わる。好きなものは小説とウィスキー。特技・速読。
インタビュアー畑中畑中千佳 ライター歴18年。情報誌、ファッション誌の取材は1,000回以上。現在はwebに場所を移し執筆中。

――小熊さんは創業メンバーだと伺いました。入社の経緯を教えてください。

求人を見て応募したのですが、募集しているのが時短のパートさんだったんです。でも、斉藤社長(通称:くまさん)とお話していくうちに、社長のパッションに強烈な魅力を感じましたね。気が付いたら「正社員として私を雇ってください!」と直談判していました(笑)
その頃は創業したばかりだったのですが、会社を一から作るって、ものすごく壮大でワクワクしませんか?そんな楽しそうなことを見過ごすことなんてできない!って思いましたね。かといって、自分に会社を始める能力があるのかというと、それはない。そう思ったときに、天使のささやき声がしましたね。
「チャンスは今しかないよ!」と。
とにかく、ぐいぐい社長に自分を売り込みに行きました。社長も、時短のパートさんが欲しかったのに、よく私を正社員として採用してくれたなと…(しみじみ)。

オンラインインタビューに回答する様子

――小熊さんのパッションが社長に伝わったんですね!

そうですね。実はそのとき、もう一社と迷っていたんです。うちの夫はすごく慎重派な人なので、冷静に分析してくれるのではないかと思って「どうしたらいいかな?」と相談をしました。そしたら、「創業メンバーになれるなんて、そんな経験なかなかできないよね。聞いているだけで、すごくワクワクする。でも、安定さを求める自分にそんなチャレンジャーなことはできない。俺の代わりにお前が行ってくれ、俺の分まで楽しいことしてきてくれ!」とめちゃくちゃ背中を押されました。

――ユニークなご主人の思いも背負って入社されたんですね(笑)実際にお仕事を始めてみていかがでしたか?

正直、その頃の記憶ないですね…。あ、思い出すからちょっと待ってくださいね。うーん…ごめんなさい、やっぱり大変すぎて何も覚えていません…(笑)
いや、業務ではないんですよ。というのも、その頃我が子は1歳半。1歳半って、保育園でウィルスはもらってくることはしょっちゅうですし、まだ意思疎通が言語でできないので、本当に大変な時期で。仕事と子育ての忙しい時期が重なってしまったという感じですね。

――ワーキングママさんなんですね!

はい、4歳の男の子が1人います。以前、子どもがアデノウィルスにかかってしまったことがありました。アデノウィルスは高熱が続くので、一週間も保育園を休まなければならなかったんです。けれど、ワーキングママが必ず通る「子どもが病気になって仕事で迷惑をかけてしまうことへの申し訳なさ」は全くありませんでしたね。そもそもフルリモートですし、できなかった分は、自分で調整をしてやれる時に取り組めばいいだけなので。

当時は入社したばかりで有給休暇がまだ発生してなかったのですが、平日休んだぶんを土日に集中してやったり、寝かしつけたあとにやったりして補うこともできました。窮屈な思いをせず、むしろ子育てをエンジョイしながらも、思いっきり仕事を両立できる会社は他にないと思っています!

――フルリモートは、子育てしている女性にはとても快適ですよね

ただただ合理的だなと思います。不自由なことはひとつもないです。良いことだらけ。企業によっては「やはり対面した方が…」という意見もあるようですが、この新しいフルリモートという方法を積極的に取り入れてくれる、オトコロドットコムの社風には感謝ですね!

――憧れていた創業メンバーになって感じたことを教えてください

何もないところから自分たちで創っていく喜びはつねに感じますし、やりがいは今まで経験したことないくらい感じています。というのも、私は「これをやってください」と言われる中で動くよりも、自由な発想でできる環境の方が能力を発揮できるタイプなんです。だから、その大変さも本望ってとこですね。「私が求めていたのはコレ!」って感じです。
でも、やること・やらなければならないこと・やりたいことは無限にありましたね。だだっ広くて何もない土壌を一から耕すような感覚でした。やっても、やっても終わらないなぁ…。みたいな(笑)

――育児で大変な真っ盛りに、創業メンバーになって膨大な量の仕事をこなす。そのタフさはどこから来ているのですか?

うーん、どこなんでしょうか。自分では特に思い浮かばないですけど…。高校卒業してフリーターになって、何とか正社員になった会社でお金を貯めて、仕事を辞めて25歳でバックパッカーとして東南アジアや欧米を旅して…

――それですよね(笑)

あ、これか(笑)

――女性1人でバックパッカー、怖くなかったですか…?

「何かあるだろうけれど、私なら大丈夫」というのがいつも頭にあるので、怖いなんて感覚は一回もないですね。怖さって「予測できない何かが起こったらどうしよう」というところから来ると思うのですが、そんなことも含めて楽しいので、ワクワクしかないです。それに、実際何とかなったので。それが旅の面白さであり、何度も行きたくなってしまう理由なんだと思います。

バックパッカー旅行中インドにて

――実際にピンチに陥ったけれど、何とかなったエピソードを教えてください

ガンジス川の水を飲んだことですかねぇ。

――ガ、ガンジス川と言えば、基準値の20倍以上のふん便性大腸菌が検出されたとも言われる、汚染が深刻な川ですよね…

ははは、あんまり分からなかったんですよね。その当時は(笑)
たまたま現地の人と仲良くなって、一緒にガンジス川に行ったんですよね。そしたら「この水を飲むといいことあるよ」って言われて。
そんな話のあと、伝統的な儀式が始まったんですよね。インドのダンスを踊って、その踊りの流れのまま川の水を手ですくって飲む真似をするっていう…。向こうの人は飲む真似のところで「なんちゃって~」って水を手からこぼして飲まなかったのですが、私は一生懸命見よう見まねで踊って、手にガンジス川の水をすくって。そのままゴクっと飲んでしまったんですよね。

――えー!!

でも、何ともなかったんですよね。腰まで浸かるだけで具合が悪くなる人もいると後から聞いてびっくりしたくらいで、私は具合が悪くなることは一切ありませんでしたねぇ。
私が飲んでしまった瞬間、インド人が「わ!この人、本当に飲んじゃったよ!!」ってびっくり仰天して騒いでいて。その様子をみて、しみじみ思ったことがありました。

――な、何ですか?

インド人もびっくりって、このことなんだなって。

(沈黙が続く)

――そ、その後はどうやって過ごしていたんですか?

元々勉強が好きだったのと、お金も貯まっていたので、28歳で大阪府立大学の大学生になりました。
入試は英語、小論文、面接の3つ。英語は旅で身につけていたし、読書が好きなので、小論文を書くのも得意。面接はこれまた旅で身につけた度胸があったので、余裕でしたね。
私が学んだのは言語学なのですが、ただただ楽しくて。一度社会に出てから学んでいるので、一般教養も実体験と重なって面白かったですし、教授にはガンガン質問に行ってましたね。ちょっとでも多くの知識を身につけたい一心で。「ここ分からないので教えてください!」って。あれも知りたい、これも知りたい!って勉強に集中していたので、卒業の時は総代になりました。
「うわ〜、私4年間でめちゃくちゃ学生を満喫した!」って胸を張って卒業式に出ました。

大阪府立大学卒業式にて

――行動力もさることながら、意欲も本当にすごい…。あれ、もしかして同級生はみんな年下ですか?

10個下の18歳ですね。私は完全にお姉さんキャラって感じで、お酒、クラブ、遊びをみんなに教えてあげました。「うぇ〜い、遊び行くぞー」って(笑)

――勉強、遊びと充実した4年間だったんですね

フル充実ですね。これ以上、充実することは難しいんじゃないかと思うくらい、堪能しました。
今もみんな仲が良いので、大学の同級生との出会いは本当に財産ですね。

――小熊さんがオトコロドッドコムに入社されたときのパッションの背景、謎が解けました

今思うと、私の今のベースは旅で培われたんですね〜。自分でも納得です(笑)
今でも、昔のように旅をしたいなって思うことはたくさんありますけど、なかなか難しい時代ですし、子どももいて、なかなか実現はできていません。だからこそ、旅をするように生きていたいっていうのは、いつも頭の中にありますね。

――旅をするように生きる…深いですね

初めて旅に飛び込んだときの勇気や情熱を持って、私はオトコロドットコムのドアを叩きました。旅と一緒で、できたばかりの会社なので、何が起こるのかは分からなかったけれど、本当にワクワクした気持ちで入社して。これからは、この旅が楽しいものになるように、仲間と協力をして良い物を作りたいと誰よりも強く思っています。本当に、私を受け入れてくれた斉藤社長には感謝しかないですね。
もしかしたら、子育ても会社も成長していく上で大変なこともあるかもしれませんが、「何かあるだろうけれど、私なら大丈夫」こう思っています!